東京都美術館で開催されてます【没後50年 藤田嗣治展】
やっと行って来ました。
実は、フジタさんは今まで絵画を観る機会があまりなくて、ギャラリーなどでちらっと拝見するくらいです。『素晴らしき乳白色』が有名ですが、パリの働く子供達『小さな職人たち』は好きです。
日曜美術館でちょっと予習していきましたが、彼の肉声を聞くことが出来たのは感慨深く・・・
落語小話の死神の話です。人間フジタが伝わってきました。
藤田の画業の全貌を解き明かす大回顧展
二人の少女》 1918年 プティ・パレ美術館(スイス・ジュネーヴ)蔵 (C)
パリでの無名時代の作品、友人のイタリア人画家・モディリアーニの影響をうかがわせる作品。モディと同じ匂いがします。他にもユトリロやロートレックの匂いがする絵画もありました。モンパルナスでお互いに影響しあってたのでしょうね。芸大の黒田先生指定の画材を投げつけてここから始まっているのですね。
《バラ》1922年ユニマットグループ蔵
静物画は初めて観ましたが、とても素敵でした。いつまでも眺めていたくなる幸せな風景です。
《私の部屋、目覚まし時計のある静物》1921年 油彩・カンヴァス
130.0×97.0cm
ポンピドゥー・センター
(フランス・パリ)蔵
特の白い下地に細い墨の線で描くという技法によって完成した初めての静物画。1921年のサロン・ドートンヌに出品され、翌年には日本の帝展にも送られて母国での本格的なデビュー作となった。モンパルナス、ドランブル通りのアトリエ内に私物を配置して描いた。アトリエの主人を描かずに、愛用品のみで画家自身を象徴する意図を感じさせる。
《タピスリーの裸婦》
1923年 油彩・カンヴァス
126.0×96.0cm
京都国立近代美術館蔵
1920年代初期の裸婦像には、装飾的な綿布との対比により白い人肌の美を引き立たせた作品もある。本作では、裸婦もさることながら、彼の持ち前の描写力は背景の綿布にも向けられている。フランス更紗に典型的な、エキゾチックな草花模様を刷った「ジュイ布」を克明に描いている。1923年サロン・デ・テュイルリー出品作。
《五人の裸婦》 1923年作 169×200㎝ 東京国立近代美術館所蔵
たびたび「ジュイ布」がフジタの絵画に出てきます。初めてこんなにたくさんの乳白色の肌をみて感動しました。美しいファブリックにも釘付けでした。
《自画像》1929年 油彩・カンヴァス
61.0×50.2cm
東京国立近代美術館蔵
1920年代半ば、パリでの絶頂期を迎えた藤田は、アトリエでの自画像をひんぱんに描いている。おかっぱ頭に丸眼鏡、ちょび髭、ピアスといった個性的な風貌とともに、日本の伝統を生かし、独自の乳白色地によるスタイルを生み出した画家像を演出するイメージ戦略をうかがわせる。16年ぶりの一時帰国を果たした1929年の第10回帝展に出品された。
《争闘(猫)》
1940年 油彩・カンヴァス
81.0×100.0cm
東京国立近代美術館蔵
猫を扱った藤田の作品の中で最もよく知られた作品。第二次世界大戦勃発後、ドイツ軍が迫るパリで描かれたもの。飛び上がる猫、うなり声を上げる猫、転げまわる猫など、14匹が様々な姿態を見せて格闘している。渦を巻いているような大胆な構図は、繊細な線描によって見事にまとめられている。帰国後、1940年初秋の第27回二科展に《争闘》のタイトルで出品された。
フジタのアイコンである猫・・・女性と猫は同じ生き物と語っています。
《エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像》
1922年 油彩、銀箔・カンヴァス
89.5×146.1cm
シカゴ美術館(アメリカ)蔵
藤田の1920年代の人物表現の中でも代表作のひとつ。衣装やソファーの模様や触感が緻密に描写され、背景は銀箔で覆われている。藤田は20年代に金箔をしばしば用いたが、銀箔が確認できるのは本作のみである。モデルとなった注文主は、当時パリに暮らしていたシカゴ出身の富裕なアメリカ人女性。晩年に自らの収集作品を地元の美術館に寄贈した。
銀箔とこのブルーと模様と目を奪われました。
《カフェ》
1949年 油彩・カンヴァス
76.0×64.0cm
ポンピドゥー・センター
(フランス・パリ)蔵
1949年3月に日本を離れた藤田が、その後滞在したニューヨークで制作した作品。女性の背後の窓越しに、カフェ「ラ・プティット・マドレーヌ」のあるパリ風の街角が見える。黒く細い輪郭線による描写は対象の三次元性を強調しているが、同時に女性のドレス、鞄、紳士の帽子等の色彩としての黒の魅力も際立っている。画家手製の額縁はカフェにふさわしいモティーフで飾られている。
日本での戦争画の責任を後輩に問われ失望するフジタは、また日本を離れて二度と日本に戻ることがなかったそうですが。。。パリを懐かしむ素晴らしい絵画ですね。額装もデザインも素敵です。
レオナール・フジタ (藤田嗣治) 《姉妹》
1950年 油彩/カンヴァス
60.8 x 45.3 cm、85.5 x 69.0 cm(額寸) ポーラ美術館
フジタ自身の手による八角形の額縁に納められた本作品は、画家が戦後パリに戻ってまもなく描いたものです。画面の大半を占めるベッドの上では、ナイトキャップをかぶり寝間着をまとった二人の少女が、カフェ・オ・レとクロワッサンの朝食をとっています。ふと食べるのを止めた左の少女はこちらを見つめ、右の少女は左側の少女の方をそっと見つめています。交わらない二人の視線からは、起きがけのけだるさが伝わってくるようです。白いナプキンには赤で、また白い食器には青で細いラインがアクセントとして施され、それらが色違いの寝間着と相まって、画家のこだわりがうかがえます。
私の好きなフジタの『小さな職人の達』パリに戻ってからフジタは子供たちをたくさん描きますがフジタには子供が居なかったそうです。まるで自分の子供のように愛しんで飾っていたそうです。実は、この辺りが時間がなくてきちんと見れませんでした。また機会があったら『小さな職人の達』シリーズを観たいです。
《礼拝》
1962-63年 油彩・カンヴァス
114.0×143.0cm
パリ市立近代美術館(フランス)蔵
緻密な模様の衣をまとった聖母に対し、藤田は修道士の服装で妻の君代とともに祈りを捧げている。周囲には少女と動物たちが、画家の背後には前年に移住したパリ近郊の村ヴィリエ=ル=バクルの家が描かれている。「乳白色の下地」を用いながらも、絵具層の色の鮮やかさとコントラストが印象的。晩年の代表作であり、藤田芸術の集大成といえる。
何かどこかに通じる絵画だとずっと思ってたのですが、
フジタのフランドル絵画の研究の成果が出ているそうです。謎がとけて嬉しかったです。
晩年も更なる絵画技術を高めて、最後は教会のフレスコ画を描いて亡くなります。
フジタの言葉で
『日本に生まれて祖国に愛されず、又フランスに帰化してもフランス人としても待遇を受けず迷路の中に一生を終える薄明画家だった』
『必ず絵には永久に生きいる魂があると思っております。最近私の絵もこの私の声も永久に残るように思っております。』
天才ゆえに・・・彼の描くあの世界・・・をいつも不思議に感じてました。
今回の大回顧展で、彼からのメッセージを受け取りました。
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